※12月20日(木)最終会受付中!
第10回12月20日(木)は喫茶フィガロ冬の文化プログラムとなります。
見学のみの参加も受け中。

今年三月から始まり、月一回で開催して来た戯曲を読む会。毎月ご
参加頂いているレギュラーの方に加え、平均2.3人のニューメンバーが加わり、上は70歳代から下は現役大学生までの、幅広い年代の方が、共に岸田國士戯曲の世界をディスカッションしながら探求する。とても和やかで豊かな時間を楽しんでいます。

2019年2月16日、本会参加者有志により、Kyoto演劇フェスティバルに出場することになりました。公演に向けての稽古も佳境となることから、喫茶店での定例会は一先ず12月20日を最終回とさせて頂きます。 公演情報Facebookページ→http://ur2.link/KQuG

来年以降の開催については現在調整中です。

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3月から1年(約10回予定)かけて岸田國士戯曲を探求する  
珈琲店で戯曲を読む会 スタート ~岸田國士のセリフをしゃべってみよう~

演劇界では毎年話題になる「岸田國士戯曲賞」
今年で創設62年になるこの賞だが、演劇に興味のない方はほとんどその存在を知らないだろうか。

以下白水社HPより引用
岸田國士戯曲賞は、劇作家・岸田國士の遺志を顕彰すべく、株式会社白水社が主催する戯曲賞。本賞は、演劇界に新たなる新風を吹き込む新人劇作家の奨励と育成を目的に、1955年に新劇戯曲賞として設置され、1961年には「新劇」岸田戯曲賞、1979年に岸田國士戯曲賞と改称され今日に至る。新人劇作家の登竜門とされることから、「演劇界の芥川賞」とも称される。


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へ~!?という感じだろうか?
テレビは見るけど舞台は見ないというあなたも、その歴代受賞者のお名前を知れば、この賞の重要さを理解して頂けるだろうか? 詳細は→白水社HP_受賞者一覧
現在テレビで売れっ子のあの人がいる。世界を相手に活躍しているあの人も。大劇場の芸術監督になってるあの人も?大先生と言われたこの人も~!

錚々たる才能たちに贈られて来たこの賞の冠である、劇作家 岸田國士 さん
そのご本人の作品群をじっくりゆっくり探求し、実際に立体化していきます。

戯曲を読む会公演決定!10月13日(土)14日(日)@喫茶フィガロ
KYOTO EXPERIMENT2018 https://kyoto-ex.jp/2018/ フリンジ企画として参加
公演情報Facebookページ→http://ur2.link/KQuG

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◆作家略歴
 岸田國士 1890年―1954年
 文学座の創立者の一人。次女には女優、岸田今日子。
 戦前フランスに渡り演劇を学ぶ。
 帰国後発表されたモダンな会話劇は、日本演劇界に新風を巻き起こし、
 一気に流行作家の仲間入りを果たす。
 戦時中、大政翼賛会文化部長。戦後その責を問われて三年間公職を追放される。
 文学座「どん底」演出中に倒れ急逝。63歳。
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◆日本語を母語とするなら、一度は口にしたい岸田國士のセリフ
 ・ト書きが少なく、”説明的な”長台詞が少ない。
 ・会話がある。間がある。丁寧な言葉遣いは一見クールで都会的。
 ・直截なセリフが少ないので一瞬真意が見えない。
 ・実際に発話してみると、格好つけきれない不器用な登場人物たちが立ち現れる。

作家が活躍した大正から昭和のころは、
まだ人々が文明への、人間社会への理想を純粋に持ちえた、
貧しくとも、人々の心の距離は近かった、
ひた向きに西欧に憧れ学ぼうとした、
戦争が有り、国が破れ、心の底から、絶対戦争なんてやっちゃいけない 
と思えた時代。

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珈琲店で戯曲を読む会 
場所:喫茶フィガロ
講師:おででこ主宰 須川弥香
日程:月一回、木曜日
時間:19:00~21:30
定員:15名くらい。(参加した皆さんに読んで欲しいので)先着順。
参加資格は特に有りません。演劇経験・年齢・性別 不問
参加費:一回、一般1500円、学割1000円 (資料代と、1ドリンクの料金含む)
※課題戯曲は参加申し込みの方へ直接ご案内します。

◆お申し込みは下記から↓
喫茶フィガロ、戯曲を読む会申し込みフォーム


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おででこ・須川演出による岸田國士上演歴
・2013年9月 おででこVol.5「岸田國士小品選」@アトリエ第七秘密基地 観客アンケート
・2014年 おででこVol.6「あ・ら・かると岸田國士」@Ito・M・Studio(伊藤正次追悼10年祭参加)観客アンケート
・2015年 おででこVol.7「岸田國士の思案」@日暮里Art Café 百舌 観客アンケート


なぜ戯曲を読むのか?

 演劇創作をするものにとっては創作のスタートが戯曲。恐らく少しでも演劇をやったことがあり、その魅力を知っている方なら、「戯曲を読む面白さ」について多くを語る必要は無いかも知れませんが、改めて戯曲を読むことについて、私なりに思いを巡らしてみました。私は学問として演劇を学んだことは無く、常に観客に見せることをゴールに、当然沢山の失敗もしながら創作して来ていますから、いわばその失敗の中から得て来た、今私が感じる実感です。(以下長文です)
 
 
日本では、小説は読むけれど戯曲を読んだことが無いと言う人が多いでしょう。小説は、状況説明や心理説明がしっかり書かれ、登場人物同士の会話などが書かれていますから、文章を受動的に読んで素直に理解して行けば、物語を楽しむことが出来ます。その反面戯曲は、主に「セリフ」と「ト書き」と言われる説明が補足されているものです。この「セリフ」と「ト書き」だけの文章は、素直に読んで字面を理解しているだけでは、残念ながら何も見えて来ません。ちょっと私達の日常会話を思い出してみて下さい。私たちは本心をどのくらい素直に言葉にしていますか? 相手や状況によって、その割合をその時々で判断して、おまけに、日本語独特の敬語や丁寧語を使い分け、微妙なニュアンスを瞬時に選択して言葉にしていますよね。皆さん凄いことをやっていますね!
 戯曲の登場人物たちも同じです。素直に本音を言わない登場人物たちの”本音”を見つけ出すのは、読む側にかかっています。想像力をフルに働かせて、言葉の後ろに隠れた本音を探しに行くことが必要です。読む側が能動的に、登場人物たちが”何を望んでいて何を望んでいないのか”を探しに行く。これがもし時代劇なら、その時代への知識も必要になってきます。想像力と知識と自分とは違った状況に生きる人々への好奇心を総動員して、一つの会話を読み解いていく。この全てが戯曲を読むということ。読む側の積極的な関わりを絶対に必要とする。この点が「戯曲を読む」ことのハードルを上げているのだと思います。
 
 ハードルは高いですが、「戯曲を読むこと」については大きな効能が有ると思います。戯曲を読むことが習慣化してくると、登場人物たちの本音を探すために、深く考える事が習慣になってきます。それは、実際の日常生活の中で交わされている、何気ない会話に対しても敏感になってきます。表面的な言葉のやり取りでカモフラージュされているが、根底に流れている”真実”に敏感になっていくことに気付きます。語勢の強弱や虚飾ではなく、”真実”を見抜く力を養うことは、複雑化していく社会で生きる力を養うことに繋がりますし、優れた戯曲には、時を経ても色あせない普遍的なテーマが有ります。人が人生を生き切る中で立ち会う、喜怒哀楽の全てがギュッと凝縮されて、劇的に構成された”劇”。実社会の荒波に出て行く前に、劇を通して人生のシュミレーションを体験する。小学校から中学まで、9年間学ぶ国語の正式な授業として、戯曲や演劇を体験する機会をもっと増やせばいいのにと本当に思います。(大学では、国立には演劇科は無いが私立では演劇科が有る大学もある)
 
 ところで、「人生は出会いが全てだ」とよく言われます。人間は、他者との出会いの中で自分を客観視し、揺り動かされ成長すると言われています。そもそも、俳優がある役を”演ずる”ということは、ある作品の登場人物になってみる事です。その人物が生きた時代や環境が、現代を生きる自分とは全く違った物であっても、批判や否定をせずに受け入れてみる。その人の考えや話した言葉や振舞を、自分の生身の肉体を使って表現(再構築)してみる事です。この演ずることに本気で取り組むと、俳優には面白いことが起ります。演ずるために自分の肉体を丸ごとその役に捧げることで、自分の肉体丸ごと密接にその役の人物に出会うことになります。自分のリアルな現在進行形で流れている人生の時間の中に、演ずる=自分とは違う人生に出会っている”虚構の時間”が入ってくる。
 ここからは少し不思議な感覚で、正確にお伝えするのが難しいのですが、この虚構の時間の中で起こった出来事は、他人事なんですが、自分自身の本当の人生の時間と、自分自身のリアルな肉体を使っていますから、やはり「自分の人生の体験になっている」ということなんです。さらに演劇創作は、稽古を通して何度も何度も繰り返しますから、その虚構の体験は色濃く全身に記憶されていきます。
 人生における喜怒哀楽が劇的に凝縮された戯曲を読むことは、沢山の人生に出会う事。沢山の出会いによって、あなたの実人生が、今よりも間違いなく豊かになっていくことに繋がると思うんです。
おででこ主宰 須川弥香